五穀豊穣を祝う賑やかで厳粛な秋祭りも終わり
我が家にとっては束の間の休息の時、今は11月中頃です。稲刈りや大祭役員の勤めも終えて、私にとっては此の頃が1年中で1番安堵出来る時であります。
スリッパからサンダルに履き替えて玄関から庭に出てみると、築山のモミジが綺麗に紅葉しておりまして、
主であるの私の目を存分に楽しませてくれます。
農業や地域活動の責任感に追われて何かと気ぜわしかった心を落ち着かせてくれる、そんなひと時を今味わっていますよ。✨

そこで今回は、日本人が何故、庭木鑑賞を好むのか?について、
其の理由を僕なりに考察してみることにしました。
日本人が庭木の鑑賞を好むその理由とは?
理由その1
5月頃は青かった葉っぱが、晩秋ともなると赤色や橙色や黄色など様々な色彩に変わり、
単一色ではなくなります。葉っぱと言えば真っ先に思い浮かぶ色が『緑色』なわけでありますが
きっと複合的な色合いが賑わいとして明るく感じ、その結果として陽気さを我々に与えてくれるのだと思います。
特に日本人は几帳面で四角四面なところもあったりしますから、
この混ざり合った色合いの曖昧さや、日頃無い派手さを無意識に追い求め、非日常な其れを見ることを我々は好むのだと思います。
理由その2
またその逆に、賑やかさではなく、色落ちした葉色に『わびさび』を感じる方もおられるかもしれません。
青葉薫る季節の5月の葉っぱは、勢いが漲っており秋のそれよりも断然色艶は勝ります。
秋の葉色にわびさびを感じ、物悲しくも憂いさに惹かれるのは日本人の心優しい人柄の現れだと思います。
樹木だって1年を通して色々とその様を変えるんですね。
まるで生きている人間の表情の様に✨ この辺りも温もりを求めがちな気質の日本人が、
樹木に惹かれる由縁なのかもしれません。
黒松
私も子供の時から晩秋の紅葉は何度も見て来ました。でも、紅葉を心で見るようになったのは、お恥ずかしい話ではありますが、
ここ最近になってからでありますね^_^; 50代となりまして、ようやく人の心になったようにも思います。^^;
先代が旅立ちまして築山の庭木は全て私が手入れをするようになりました。そのことにより以前より
樹木に愛着が芽生え始めたんでしょうかね。
あと、黒松や金木犀を見るのも好きですよ。
下の写真は私が剪定をした黒松ですが、剪定を終えるまでにだいぶ時間を要してしまいました^_^;
なかなか、思う様には行かず・・・松は難しいですね^^; 毎年そう思いながら剪定鋏を握っています^^;
【黒松】

毎日庭木を見ています
庭木を自分で手入れをしていると一段と愛着も増しますね。愛着が年ごとにどんどん増してきているように思います。
晴れの日、曇りの日、雨の日、それぞれで同じ庭木であっても見た目も感じ方も全く違ってくるのが楽しみでもあったり、また面白さだとも思います。
活力を感じる時もあれば、憂いを感じる時もあったりしてほんと面白いもんです。
あ!考えてみると農作業を始める前にも、昼休息の折りも、そして疲れ切って畑から帰ってきた夕刻にも
庭に置いた椅子からいつも庭木を私は見ているように思います。
きっと心がその時々で何かを求めているのでしょうね✨
12月になると黒大豆の収穫が始まりますので、暫し休んだ農作業をまた再開します。
そして忙しい12月も毎日、私は庭木を見ることでしょう。
ではでは今回の記事はこの辺りで(^^)/
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